強烈だったインド旅一ヶ月
5本に分けて書きました
インド①から読むと
今回もまたロングストーリーになります
“リシケシュ”


ガンジス川に沿って流れる
のどかな町並み
着いた瞬間から
来て良かった感100%
ヒンドゥー教の聖地
そしてヨガの聖地でもあるこの町


ここのアシュラム(ヨガの道場)は、
現在は閉鎖されているが、
かつてあのビートルズも短期間修行に来たことで有名
リバプール、ハンブルク、、
ビートルズのゆかりの地めぐり
今やお気に入りの趣味になりつつあるよ



旅に出て以来
日の出から日没までを、
しっかり感じられる生活になってることに気づく
これは
人生を送る上で
貴重で大切なことだと思う

(何かの音楽隊と遭遇)
ここリシケシュでは、
久しぶりにカフェライブもすることができた

(2014.1.23 at Little Budh Cafe in India,Rishikesh)
ライブ後
お手製名刺を配りに
お客さん達に話しかけにいくと
ブラジル人テーブル
スペイン人テーブル
フランス人テーブル
国際色豊かな場所ということに気づく
日本人のこのグループとも
お話し会

殆どが初対面
そもそも、
元は写真向かって右にいる女性“コトさん”とジャイプールで出逢って、
彼女が強くおススメしてくれたのがキッカケとなって
僕はこの地にやって来たのだ
イイ宿
フリーフード
フリーヨガ
助言のすべてが的確で
彼女なしではこんなスムーズな滞在にはならなかったと思う。。
どうもありがとうコトさん。
日本人のみんなが去った後は
インド人の二人のテーブルに誘ってもらう

彼もまたシンガー
共に歌ったり
曲の見せ合いっこなど
楽しいときをチャイを飲みながら。。
たとえ国籍が違っても
話しててフィーリングが合う人との席は
話題に困らない
そういえば、、
この地 リシケシュですれ違う人たちは皆
リラックスして微笑んでいるような気がした
これは
ヨガの力なのだろうか。。
自分も
最終日早朝6時に早起きをして
初体験しに行ってきました
長期的に継続して
分かる感覚が絶対あるセカイだった
出国日が迫ってたので
リシケシュは二泊三日だけでさよなら、、
でもまたこの安らげる地には
いつか帰ってきたい
他にも点在するであろう
こういう癒しの地の数々は
インド旅を魅力的にさせる
大きな理由のひとつと確信。。
ついに
最後の終着地
首都 “デリー”
駅を出たところで
声を掛けてくれた韓国人の男の子と
ニューデリー駅まで行き、ホテル探しを共にする

最初は、
警戒心の火を消さずにいたけど、
じょじょに心を開いていく、、、(まぁお互いに)
彼のアイデアで
“アクシャルダム寺院” という場所を一緒に観光しにいき
その予想もしてなかった美しさに
二人して感動
繊細なつくりが見る人を圧巻させる
ファンタジックで芸術的な建造物だった
ひょっとしたら、
自分的ベスト1にだいぶ近かったレベルかも。。
新築というのもあって、
取り囲む一帯がモダンな設備
たとえていいものか、、
インドを忘れて “ディズニーランド”に来たような気分にもなった
正直 デリーのメトロにも驚いてしまった

ハイドラバードから旅して来た僕にとっては、
この国が垣間見せる近代的な一面が、だいぶ衝撃的に映る
デリーは
インド旅行の出発地点にすると大抵、
言い寄って騙して来る人の多さから
旅人にとって、何かと嫌われがちの存在 と知っていたから最初は気を張っていた
でも実際は
そうでもなかった
バラナシの方がもっと凄かったのもあって
知らぬ間に慣れてしまったんだと思う
ただ初めてインドを旅するなら
南から!とおススメする人に自分も深く同感
南のほうが
北よりも人もしつこくなく旅をしやすいのは事実
インド最後のディナーを
韓国人の彼と食べに行く

飽きずに今日まで
食べてきたインドのカレーの魅力。。

音楽バーで乾杯した後
最後は
ホステルの屋上でゆっくり語らう

ビールをおごってくれた彼に
歌うことで、ささやかなお返しをさせてもらった
ふたり、気づけば
微妙にあった猜疑心からの距離感は無くなっていて
互いに「最高な一日だったね」を、笑顔で口にし合っていた
そもそも、なんで声を掛けてくれたのか?
と彼に尋ねると
『大きなギターケースを背負ってるのが目について、何か気になったから』
だそう
やっぱり
この一本のギターが
僕に運んでくる出会いの数は計り知れない。。
好き嫌いが分かれるといわれる国 インド
こうして訪問が終わる今
僕の持つ感想を一言で表現すると。。
『 “でもやっぱり” 好きと言ってしまう国 』
また時間を見つけた時に
未見の地を散策しに戻ってきたい
現在は
もうすでにネパールを出て
タイのバンコクにいます
ご飯の美味しさ、
セブンイレブンの多さに
びっくりしてます
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“バラナシ”


初めてこの目で見たガンジス川は
想像以上に川幅が広く
静寂、、
そして少し靄がかかってる感じから、
どこか神秘的な空気さえ漂わせていた
長く長く続く川沿いを、
ただひたすらに歩いていった
焚き火が目に入る
川に面した火葬場で、
堂々と亡くなった人が燃やされていた
最初は衝撃的だった
でも、数分もすると
冷静にそれを眺め始める僕もいた
“遠くのことのように感じていたけど、
死は生のホントにすぐ隣にあるもの”
心が呟いた
知ってる人もいると思うけれど、
補足として書くと
ヒンドゥー教の人々にとって
ガンジス川は聖なる川とされていて、
誰もが死後の遺骨はここで流されることを願っている
場合によっては
生身の身体をそのまま流すこともあるそうだ
インドはやはり
日頃の常識では考えられない現実を
次々に視界に運んでくる
特にバラナシという街は
歩いた分だけ、なにかと
目に付く光景の数が多いように感じた


インドの観光名所でもっとも
インドらしい場所として、有名なこの地域
その理由を歩きながら、理解しようとしていた
このカオスの中には
長期的に滞在してる者にしか見えないセカイがあるんだろう
昔ながらの生活の営み
ごみ、糞、散乱し放題の道
膨大な数
そして様々なタイプの人間が行き交う通り
一向に鳴り止まぬクラクション
目を伏せてしまうような場面の数々
他にもインド全体をカオスにしてる
大きな理由のひとつに
放し飼いの動物達の存在がある
(牛、ヤギ、猿、にわとり、豚、馬、犬、猫、、)
日本、いやおそらく世界を見てみても
これだけの動物達が、身近な所で暮らしてる国は
珍しいんじゃないだろうか
想像してみてほしい
大きな牛が
駅のプラットホームにいるところ
バラナシの中心から少し離れたところに位置する
日本寺に赴き、背筋がピッとする

ガンジス川沿いで
毎晩行われてる
祈りの儀式

“ブッダガヤ”


ブッダが悟りを開いた地
ここは、仏教では最高の聖地と呼ばれているところ
同じくして様々な宗派の寺院が点在する
日本寺もある

ここで、二日間
夕方から行われる
瞑想にも参加した
座禅を組み
じっと目を閉じていると
脳内で幾つもの考えが行き交っていくのがはっきりと分かる、、
無の境地という言葉の
奥深さ、難しさを思い知ることになる
最初の晩の滞在先は、
良心的な値段設定と、高まる好奇心から
日本寺近くにある宿坊に決める

昼間には外で
授業も行われていた

ここにいるシミズさんというお坊さんから
仏教の歴史、現在のお寺の抱える問題など、
どれもこれも興味深い沢山のコトを学ばさせてもらった
いつか京都のお寺めぐりがまたできる時が来たら
見え方がだいぶ変わると思う
初日の夜には
出逢いがあった
宿坊に荷物を置いて
夜ごはんの場所を探しに出た時のこと
一軒目に入り
一瞬、決めかかった
が、やめて 隣にある二軒目のレストランに入る
その決断が縁を呼んだ
店長の男の子に
出身国を質問され
日本から世界中を旅してるシンガーだと伝えると、
『明日、ご飯代タダにするから是非歌いに来てよ』 と言われる

写真向かって左にいるのが
店長改め
“ビジュー”
とっても仲良くしてくれて
二日目の昼晩の食事
自宅に宿泊までさせてくれた

三日目、早朝
ビジューは、レストラン営業で忙しいにも関わらず、
共に早起きをして、中心のメインスポット
大菩提寺の辺りを案内してくれた
冒頭で伝えたように
仏教の人にとっては聖地とあって
早朝から沢山の仏教徒の方々が、
思い思いに拝み、熱心にお祈りする姿には驚かされた
世における
“宗教”とは何か
客観的に今一度考えさせられた
昼間はバイクで、
街から少し離れた場所まで乗せてってくれた

急用が入り、店に戻ることになったビジューと
バトンタッチするかのように
お金を払い乗せてもらったもう一人の男性

ブッダが六年間もの間、
苦行をしたといわれる洞窟を訪ねた後は、
過去の生活感を今もなお残す
とても美しい村の情景に、
思わずバイクを止めてもらったり、スピードを緩めてもらったりする。。



昼間の
このバイクでの観光時間を除いて
翌朝の電車乗り場まで
ビジューはずっと色々とケアし続けてくれた
北インド旅行
嘘つきな人達ともいっぱい遭遇してきた
バラナシでは、強めの言い合いなんかもホントはしてたりして、、
人を信じるのがなかなか怖くなってたけど、
彼は明らかに正反対なタイプの人間だった
彼と出逢えて本当に良かった
いつも
イイ人との出逢いが
旅する日常をがらりと変える
こうやって、
伝えたくなるストーリーは
出来事から主張してくるから書かずにいられない
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“ハンピ”

道の途中のバスステーションで
出会ったイタリア人の旅人達と
一緒に観光

ゆっくりとした歩調で
辺りを散策する彼ら


たまには誰かのペースに合わせて
時の流れに乗るのもいい
自分がいかに早足で
いたかが分かる
同じくして、
彼らの興味の矛先を見るのも面白い
着眼点にその人の個性が出る
新たな散策の楽しみ方を
さりげなく教わる
夕方頃、

丘の上で夕日を待ってると
他の日本人の旅人達と会う
自分も到着時に
少しだけ顔を出しに行っていた
ハンピにある日本人宿
そこの宿泊者たち
会話が弾み
そのままの流れで
夜ご飯もみんなで食べに行く
締めくくりは、ミニライブ

(2014.1.5 in India, Hampi)
日本人に囲まれた中で
歌うことが久しぶりだったせいか
緊張。。
旅中に仕上げた歌の反応を見れる
楽しさもあった
後ろ髪を強く引っぱられながらも
先を見据えて、翌日、次の目的地へ
すぐに向かうことを決心
“ムンバイ”


昔、イギリスの植民地だったという理由から
当時の面影を残す、ヨーロッパ調の建築物が点在していた
久々にこの手の建物をみると
あの当時は、見慣れて失くし欠けていた
“新鮮さ”が感覚に再来する
ヨーロッパの国々が
ふと恋しくもなった
都市 “アウランガバード” を起点にして
二日に分けて
どちらも訪ねた
“エローラ石窟群” と “アジャンタ石窟群”

仏教の石窟の中で
立ち尽くす
京都や鎌倉の旅行の記憶
教会やモスクばかりをしばらく見てきていたから、
瞳を閉じて笑みを湛える
菩薩の持つ空気が、どこかやさしくて懐しかった。。
日本で生まれ
日本で育った僕という人間を
見つめ直す


ホントはここで
出逢いのストーリーが生まれたけれど
とある理由からそれは内緒で。。
キーワードは
“餃子の王将”
街を去り際に
一曲歌い、
押し寄せる感謝となごり惜しさを抑えて出発、、
ムンバイを経由して
次の目的地へ行くため
寝台列車に乗る
ジェットコースター並に
気持ちも身体も振り回されるバスに比べて
静かに走るインドの寝台列車が、僕は結構好きだ
“ジャイプール”

日本人の旅行者の口コミによって
信頼の厚い、Tony Guest House という宿に宿泊を決める
無料だった最終日のランチなど
確かに、アットホームな感じがする
過ごしやすい宿だった
初日の夜は
屋上で、他のインド人のミュージシャンと少し
セッションをしたりなんかもした
街をぷらぷらと観光


有名な観光地
“アンベール城”に向かうバスで
若者達と知り合い、その素直そうな瞳から一緒に行動することに決める



まだインドに着いてから日が浅い僕にとっては、
周辺の景観の第一印象、
声を上げるほどの美しさがあり、個人的に◎
ジャイプールから
バスに乗って、、
“アーグラ”

ずっと見てみたかった
“タージ・マハル”
スペインの “サグラダファミリア”と
バチカン市国の “サン・ピエトロ大聖堂”に匹敵する、ダイナミックさ
持ってる雰囲気
世界観が凄い
写真からじゃ伝わらない
インパクトや美しさの存在を
こういうところに来ると、改めて気づかされる
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“ゴア”
州都 パナジ
この日は30日
年末カウントダウン間近とあって
殆どのリーズナブルなホテルは埋まっていた
どこか華やぐ夜の街を
ひとり
“なんで年末に、こんなさ迷ってるんだぁぁぁぁぁ”と
心の中でしきりに叫びながら歩く、、
翌日はバスで
“アンジェナビーチ”に向かう予定だった為
仕方なく
バスのターミナルで
日の出を待つことに。。
これでもう二日間
宿なし状況。。
一人寂しいオモイをしていると
声を掛けてくれた男性がいた
幸いなことに
彼もまたミュージシャンだった為
この辺りのビーチの音楽事情などを相談することが出来た
彼のおかげで、
新たな勇気が心に沸いてくる
そして翌日
この日は
ついに大晦日
早朝すぐにバスに乗り込み
昨夜の彼のアドバイスも頭に入れながら
アンジェナビーチへと向かう

降ろされた場所は
ビーチからまだ3キロ程
離れたホテルエリアだった
一軒ずつホテルを訪ねて回る
大晦日とあり
どこも通常の三倍近くの値段設定。。

ここのホテルに行き着く
この時期でいえば
周りに比べてだいぶ安い
一泊800ルピーでいいと言われ
泊まることに決める
日本から来たシンガーいうことで
オーナーさん、スタッフさん
みんな大歓迎してくれた
ご飯を準備してくれてる様子

海まで続く
のんびりとした町並みは
アメリカ西海岸の想い出を連れてきた

なぜか
ファミリーマート発見

後で
中に入ってみると
あぁとっても
ファミリーマートらしい
ノリノリのイケイケダンスミュージック
と
ズラッと並んだビール達がお出迎えで
懐かしくなりずらかった

夕方手前にようやく
降り立ったアンジェナビーチ

ここは、インドの中でも
特殊な地域で
外国人観光客が多く集う所

ギターを抱えてビーチを歩く僕に、
明るく声を掛けてくる人も沢山いて、
歩いていて気持ちがよかった
真夜中の年越しの様子

踊り狂う周りの
ハイテンションの輪には
入らずに、ビーチの端でゆっくり物思いにふけた
深夜二時
ホテルまでの三キロの道を歩いて帰ることにする
平地に伸びる一本道の途中
ポツンと屋台
前を通りかかると
ホテルのオーナーさんが一人
ウィスキーで晩酌をしていた
この人の漂わす空気は
どことなくミステリアスだ
何を考えているかは読めないタイプ
『まぁ座れよ』と誘われる
『オムレツ食べるか?』と聞かれ
はい、と答えると
シンプルな目玉焼きが出てきた
“あっオムレツって、目玉焼きって意味でもあるのか、、”と
しみじみ感心しながら、口をもぐもぐ動かす
お互い口数は少なく
会話は特になかった
ビーチとは
正反対の静さを漂わす真夜中の屋台は
なんかとってもいい雰囲気だった
帰りは
オーナーさんのスクーターの後ろで
夜の風を切りながら、輝く星空を見上げた
その幸せなひとときが
何故だか強烈に印象に残ってる
ホテルに着くなり
スタッフ数人を屋上に集めた
オーナーさんから
『まぁいいから 僕らに数曲歌ってくれ』 と言われる
新年初のミニコンサートを
明け方三時半近くに開催
チップとして150ルピーもくれた
翌日
一月一日も
滞在することに決める
オーナーさんに値段交渉するが、
800ルピーの二倍の1600ルピーだときっぱり言われ、
受け入れる
昨夜の優しさに
また甘えようとした自分がいけないと
少し反省。。
鋭く照りつける日光の中、
本日すべきことを悩んでいると
一台のスクーターが止まった
声を掛けてきたのは
昨夜年越しの瞬間にビーチで会った
インド人だった
彼の後ろに跨り
彼の友人らと共に、
ビーチに遊びに行くことに決める


この日の夜は
前日に出演交渉していた
別のホテルのレストランで
ライブを開催
終演後、
お金のことで
一悶着あったせいで
精神的にクタクタでホテルに戻ると
待ち構えていたかのようにオーナーさんから
『 (君が疲れてるのは分かるが、、)まぁここに座れよ。』と言われる
『ここにあと一ヶ月居る気はないか?』と
軽くジョークも飛ばされる
スタッフさんから
またご飯を振舞われる
心が少しリラックスしたのを
見届けたのか
昨夜同様、屋上にスタッフを集め
オーナーさんからまた
『歌ってくれよ』の一言

なんなんだろう この連夜のミニコンサート。。
でも音楽者として
求めてくれることは
嬉しい
数曲歌う
終わると同時に
頼んでもいないのに
オーナーさんスタッフさんみんなから
またチップをもらい
深々頭を下げる
合計300ルピーだった
翌日
チェックアウトをするため
オーナーさんのデスクに行く
1600ルピーですよね? と聞くと
『いやディスカウントして、二日分500ルピーでいい』と言われる
え? 、、
もう言葉が出なかった。。
“500ルピー” と言えば
二日間でオーナーさんたちが僕にくれた
チップとほぼ同額。。
すなわちこの二日間
ご飯も含めて
タダで泊まることが出来たことになる
しかも
オーナーさんは
必要なら、もっと安くしようかという素振りさえみせた
新年早々、思わず泣きそうだった
こんなに出て行きたくない
ホテル初めてだ。。
もしこの夜も泊まれば
おそらく第三回目の
オーナー主催のミニコンサートもありえただろう。。。
みんなに感謝を伝え
心涙目でそのホテルを後にした
アンジェナビーチの次に向かった先は
ヒッピーが多いことで有名と聞いた
“アランボルビーチ”


確かに、多くの
ヒッピーらしき人達が
ゆったりと生活を送っていた
みんなどこか
個性的な出で立ちの人が多く
その大半が外国人だった
二泊三日の滞在中
ライブをココと

ここのレストランでさせてもらった

なんだインドでも
やり方によっては、
こうして音楽を通してお金を稼ぐことが可能なんだなぁ。。
と
しみじみ、嬉しく思った
夕暮れ
打楽器を持って人々が輪を作り
リズムを生み
楽しそうに踊る人々


夜はビーチで
手作りのアクセサリーを販売してる若者達もいた
ビザに期限があるために
長居は避けたけど、
ここのビーチはまた必ず戻ってきたい場所になった
“知らぬ内に、
時間の流れ、社会の流れさえも、遠のいていく。。”
ここは
そういうところ
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49ヶ国目 インド
“ハイドラバード”
正直言うと
インドの旅に突入する直前は
大きな緊張感を持っていた
カオスが予想される街の中
理想は、バックパック一個を背負い
身軽な格好で乗り込みたかったが、
僕の場合
ギターケース + 衣類、音楽機材などを詰め込んだ
重いキャリーケースを
引いていかなければいけないからだ
つべこべ考え過ぎても良くない
細心の注意を払いながら、
そのスタイルで旅を続けることを決意
日の出前、空港に到着
右も左もわからぬまま
周りの助言に従いバスに乗り
街の中心にあるメインのバスステーションを目指す
途中、バスから降ろされ
ここから“オートリキシャ” を使わなければいけないと
言われ
その場で待ち構えていた
ひとつに乗り込む

猛高速で出発
ドライバーの運転の荒さから
安全性もなにもあったものじゃない
暗闇の中
『インドぉぉぉぉぉぉおおおおお』と叫びながら
必死に相棒のギターとキャリーケースを押さえて
取っ手にしがみつく
インドの洗練を
早速受けた気がした
日が昇り
街を少し散策

門の佇まいが
なんとも印象的だった
バスのスケジュールの
関係上
午前中にはもうこの街を後にした
ここから目的地“ゴア”を目指すには
まず“フブリ”という場所に向かう必要があった
初めて乗る
インドの長距離バス

まず揺れがとてつもない為
眠る余裕なんてない
運転手のおじちゃんは
前方に現れる殆どすべての車両に
爆音ラッパクラクションを
『パァァァァァ!!!!!!!!』と鳴らし
乱暴に追い抜いていく
気遣いもなにもない
そのある意味で
ボス猿のような姿たるや
“って ジャイアンか!” のツッコミを
思わず浴びせたくなるレベル
(インドのドライバー達は、
クラクションをちょっとしたサイン代わりとして使うのが
普通と、後に段々と理解してくる。。)
そんなバスの周りを流れていくのは、
今までこの目で見たことのないようなセカイだった

過去に
イメージしていた通り
確かに
あまり清潔感があるとは
いえない町々
だけども、
それと同じくして
自然、動物と一体と化した人々の生活の営み
広がり
青々と茂る一面のみどり
すべてがきらきらと輝いて
僕には見えた
パキスタンを挟んで
すぐ横には
つい昨日、一昨日までいたイラン
こんなにも違う生活スタイルがここに在る事
地球の面白さを
嚙み締める
この時点で
僕はインドに来れたことを、
もうすでに、とても幸せに思えた
夜9時頃
他のバスへ乗り継ぐ
手持ちのユーロを
換金する場所をなかなか見つけられずにいた為
空腹を我慢してバスに揺られていると
二人のインド人の女の子に
話しかけられ
会話が始まった
状況を聞くやいなや
フルーツそして水までも途中で購入して、
彼女達は僕に手渡してきた
頭の下がるオモイ。。
なんてやさしいんだろう、、
初めてのインド人のやさしさに
思わず感動した
彼女達からのアドバイスを参考に
バスを途中で下車
孤独感と恐怖感を抑え
真っ暗闇をしばらくとぼとぼと歩き
ようやくフブリ駅に到着
夜はもう11時半を回り
最終目的地“ゴア”行きの
電車は去った後だった。。
翌日の始発を待つために
駅に残る事を決意し、
とりあえず目に留まった
飲食店らしきところに入る
ユーロの換金をどうにかできないかと
尋ねてみると
この若者達に歓迎された

彼らは、その店で働く従業員たち
食べなよ食べなよと
ご飯をタダで振舞ってくれたお礼の代わりにと、
僕は曲を披露
この時が実質
インド初ライブ
こうして
まだ初日のこの夜だけでも
想像もしてなかった程の優しさを
出会ったインド人達はくれて
緊張で硬直していた僕の心を
僅かにでもほぐして、
安らぎを感じさせてくれた。。
・・・・・・・・・
翌日
早朝、電車に飛び乗り
いよいよ 目的地のゴア へ
駅で会った
この若者達と同乗

電車も昨日のバス同様
相変わらずカルチャーショックを受けずにはいられなかった


雑然とした車内
終始開け放しのドア
走る情景の美しさ
乗り込んでくる
商売人
分け合い口に頬張る
インドのスナック
常に気は抜けない
周囲の状況の
移り変わりの速さ
真夏じゃなかったのが
救いだった
横顔で受ける風は気持ちよかった
抽象的な表現になってしまうが
本当に混沌とした
カオスのセカイなのだ
あやうさと隣り合わせ
でも生きてる感じを存分に味わえる
余談。
イヤホンを
完全に付けているのに
音楽は、明らかに本体のスピーカーから鳴っている若者に
ツッコミを入れるべきだったか
どうか
そんなこんなで
ようやく“ゴア”到着

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